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東京片貝会会長 佐藤祐一さん「....(略) 私、11/1-11/3 片貝に行ってまいりました。
結論から申しますと、片貝はありがたいところでTV、新聞、ラジオ等で報道されている生々しい深刻な被害に比べたら他町村に申し訳ないほどの軽微な被害かと思われました。ただし、電気、ガス、水道が止まり、余震に脅かされ、数日の車やテント生活をされた多数の町民の方々のご不便、ご心配は直接その場面に遭遇しなかったわたくしにはおよびもつきません。
電気はかなり早く、ガスが11/2、 水道は11/3復旧しました。私、行きは新潟まで飛行機、長岡まで高速バス、片貝まで弟の車でした.
1日午後、総合センターに川上東陽氏を訪問しましたが、お留守で会えず、そのあと
小学校長 杉山先生、中学校長 渡辺先生にお会いしてきました。両校にお見舞い送付を決めていただいたのはグッドタイミングだったと思います。
非常に喜んでおられました。
ちょうど、文科省から建物の被害調査に来ておりました。小学校は本棚その他が倒
れましたが建物の被害なし。
中学校では体育館の窓ガラスが壊れ、当分立ち入り禁止です。地震当日は文化祭で
300名ほどのひとたちが午後3時頃まで体育館に居られ、このとき地震が起こっていたらガラスの破片が上から落ちてき、多くの怪我人、場合によっては死者もでたところだったとの渡辺校長のお話でした。ちょうど前校長の山本先生もきておられました。山本先生は現在、三条中学校長で7月の水害では大変だったとのことです。
片貝でのもっとも大きな被害は中学校体育館のガラス窓の破壊(建物自身は非常にしっかりとした造りで問題なし)、浅原神社の灯篭の一部の転倒、石の鳥居のひび割れと沖使山(字が違っているかもしれません)のお墓の転倒かと思われました。個人の家では大谷石の塀の転倒が見られました。帰りは長岡ー湯沢間国鉄バス、あとは上越新幹線”谷川”でした。
数枚の写真を撮ってきましたが、これから授業ですので後ほど送付します。以上
」
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11/3 片貝、つどい会・浅田さんより
「本日11月3日、最後の救援物資が支給され、小学校に設けられていました避難所も閉鎖されました。
これで片貝の非常体制も一応一区切りしたことになると思います。
東京片貝会の皆様には今まで大変ご心配頂きましたことをあらためて御礼申し上げます。
非常体制は解かれましたが、これから冬を迎えて本当の意味での復興が今から始まります。
最後に皆様方の引き続いてのご支援をお願いしまして私のレポートを一旦終えさせていただきます。
本当に有難うございました。そしてこれからも片貝を宜しくお願いします。
」
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中越地震 片貝情報(二報) 10/30
片貝四の町 相崎重明君 (陽光会)電話連絡
当方の情報収集依頼で、町内を散策し、写真撮影を協力して頂いた。
(写真は、マッペサの現像機械が壊れ遅れる模様です。)
1.電気は、10/25夕方から通じたが、ガスと水道は見通しがたっていない。(11/7頃か)
2.水は、井戸水、湧き水と給水、ボランテアの水ボトルなどで対応している。(11/30 自衛隊からボトル1本ずつもらった。)
3.風呂に入れず、旧駅前に自衛隊が簡易風呂を設置、10/30女性、10/31男性が入る予定。
4.10/30 新潟のラーメン屋さんが、1000食のボランテアで美味しく頂いた。その他、夕方は 豚汁、お汁粉がボランテアである。
5.自宅での宿泊は、10/29頃から多くなった。(家の中は余震が怖い)
6.民家の倒壊は無いようだ。蔵が数軒壊れた。(浅原神社の蔵もかなり壊れた)
7.地盤の悪い所の民家で、家の後ろ側が沈下した家が数軒ある。
8.墓地は2/3程度が倒れたり,ずれたりしている。朝陽館の先生方のお墓も2つ残り、5つ倒れた。
(先祖が身代わりに倒れ、町を助けたのかも知れない・・・)
9.一般の家で、屋根の「ぐし」が壊れたり、立ち上がったりした家が数軒ある。
10.浅原神社の四尺玉の記念碑の玉が落ちていた。
11.山屋地区は、3ケ所ほどに集まり、食事したり「酒」を飲んだりしている。
12.新設された総合センターへ、高齢者がかなり避難している。
以上
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10/30 黒崎 仁さんよりの報告
10月30日時点でのこちらの状況ですが、被害等につきましては道路では小路や歩道のマンホール部で多少の隆起、陥没があるようです。しかし交通には支障ありません。片貝よりも小千谷方面はもちろん、越路や長岡(特に東側)の方が道路状況はよくないです。
片貝中学校の体育館のガラスが約30枚割れているそうです。小学校と保育所が避難所になっていますが、私は様子を見に行っていないので現在の状況はわかりません。
恐らく片貝で避難所生活している人はほとんどいないと思います。
ライフラインは現在でもガス、水道は復旧の見通しはたたないようです。
水に関しては我が家の様に井戸水を使ったり、片貝には自噴している湧き水が数カ所あるのであまり問題ない様ですが、報道等でご存じの通りガスが止まったままの為、風呂には不自由しています。それぞれ長岡の親戚のお世話になったり民間の入浴施設に行ったりしているようです。ただ、本日より総合センター裏に自衛隊が設営した簡易風呂が利用できることになりました。いづれにせよ、いつもの様に毎日入浴できないのには変わりはありません。
他に不自由しているのは洗濯機が使えないので手洗いや離れたコインランドリーで洗濯をしていることではないでしょうか?
食事等に関しては水には困っていないのでプロパンガスやカセットコンロを使って調理しています。店も来迎寺、長岡方面でスーパーなどはほぼ通常営業に戻っていますので問題ありません。ただ贅沢な悩みですが、片貝人は呑兵衛が多いので安心して酒飲みに行けないのがわずかな問題ですかね(^^;)
こんなことを思える位なのでだんだん生活は元に戻りつつありますよ。
心配なのがこれからの産業の動きですね。被災地では流通の動きが鈍くなるので、仕事が他方面に行ってしまう事が懸念されます。当然、被害のある企業はそれを食い止めるために1日でも早く稼働させるべく片付けに励んでおりますが、家が被害にあった従業員も多いのでフル稼働するにはもうしばらくかかりそうです。
人は人情がありますが、現代の日本では企業に情はありませんからね。本田宗一郎の言葉がひしひしと重く感じます。
長くなりましたが、足りない部分は多々あると思いますが、一応こんなところです。
最後に個人的に物を申し上げさせて頂きたいと思います。今回の新潟県中越地震では多くの建物、家屋や道路が破壊され、恐ろしいほどの被害がありましたが、一番の被害は金や物ではなく人の心です。どんな時でも、また地震が起きるかも知れない不安を抱きながら生活していかねばならない事を強いられました。しばらくは安心して穏やかな気持ちで生活できる状態にはなれないと思います。TVのニュースでは現地の惨状ばかりが映し出されていますが、大変なのはこれからだと思います。どうか東京片貝会の皆さんだけでも理解して頂ければ幸いです。
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中越地震 片貝情報 10/26
片貝四の町 相崎重明君 (陽光会) 電話連絡
1.10/26 4:00 揺れあり。
2.10/25夕から電気が通じた。
3.本人は10/25から、自宅に入った。
4.まだ車の中の人もおり、広場でまとまって居る。
5.浅原神社の一の鳥居の柱1本折れた。危険な状態。灯籠はたおれた。
6.墓は沢山倒れた。
7.杉並区からの救援のご飯を食べて居る。感謝している。
8.沼田、町裏で数件の家で屋根が壊れた。
9.長岡までの道路は、信濃川の橋で根本や段差が生じて居る様子。
遠くまで出かけていないので良く解らない。
10.水、ガスは来ない。水でふじゅうしている。(釜で飯を炊いた)
11.近郊の会社は休みとなっている。
12.小千谷市の中では、片貝は被害が少ない方のようだ。
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